hrstrategist’s blog

組織人事ストラテジストのつぶやき、業務連絡など。。

「ソニー批判」記事を読んで思いついたことのメモ

こんにちは、組織人事ストラテジスト 新井規夫です。

日経ビジネスで連載されている、「オレの愛したソニー」という特集記事をご存知でしょうか?これまで丸山茂雄氏、伊庭保氏、大曾根幸三氏と、かつての経営幹部たちが「ソニーへの懺悔と愛を語る」というものです。

 今週、6月13日~17日は、かつて大きな話題となり、ヒットした子犬型ロボットの「AIBO」の開発責任者であった土井利忠氏のインタビューが載っています。

 今日のエントリは、その中でも6月15日にアップされたこの記事を読んで「感じたこと」について、備忘のために取り留めもなくメモを書いてみました。

business.nikkeibp.co.jp

■「出井さんが特に重視したのは外部のコンサルティング会社だった。毎年のようにものすごい金額のコンサル料を払っていた。(略)2005年頃にはその5倍の年3000万円くらいになっていた。」

 年間3,000万≒月250万という計算になりますが、戦略コンサルタントへの報酬の相場からすれば決して「高い」訳ではないですし、金額自体は決して”ものすごい”と表現するようなレベルではないと思うのですが。。
 もちろん、それだけのお金を費やした価値があったかどうかの議論はあるでしょうが、それは別の問題ですし、それはコンサルタントを使いこなせなかった発注側の責任のように思えます。

■「不思議なことに、ソニー社内にもネットワークに詳しい人はたくさんいたのに、そういう人の話は一切、聞かなかった。なのに、自分の周辺を固める三流コンサル、三流エンジニアの心地よい言葉ばかり聞いて、ソニーをおかしな方向に導いてしまった。」

 土井氏が言うには、「ネットの時代が来る」と出井氏が主張していたのは、「三流のコンサルタントのレポートを読んでそれを受け売りにしていただけあり、一方で社内のエンジニアたちの意見は一切聞き入れなかったとのことです。

 なぜ出井氏がそのような頑なな態度であったかについては、後日の記事で土井氏が、
「エンジニアの言うことが何よりも優先されて、何でも要望が通っていた時代(土井さんは「ソニーの病理」と表現しています)」に、営業出身の出井氏は「そういう環境のソニーで虐げられてきて、忸怩たる思いを持っていたのかもしれない。」と推測しています。つまり復讐ですね。

6月17日の記事

business.nikkeibp.co.jp


■外部コンサルタントの役割は限定的である

 私がこれを読んで、コンサルタントのような「外部リソース」の使い方が下手な会社なんだな、と感じました。外部の意見は参考にはなりますが、それはあくまでアドバイスであって、丸呑みしたり、依存したりすべきものではありません。特に会社の規模が大きくなると、そうっいた「異物」は(中身の良し悪しに関わらず)積極的に排除されるという組織の慣性が働きます。

 そこで、外部のアドバイスを取り入れて組織を動かしたい経営者は、相応の時間と手間を掛けて社内の人たちがその意見を取り入れ、それぞれの人たちの「自分の意見」として適応・定着させるプロセスを踏むことを求められます。

 この辺のメカニズムを明快に示しているのが、上記でも取り上げたハイフェッツ( Ronald A. Heifetz)の「リーダーシップとは何か!」「最前線のリーダーシップ」「最難関のリーダーシップ」という本です。

 

 これらの本では、「技術的問題」と「適応的問題」という概念が説明されております。前者は正解・解決策が分かっている問題で、後者はたとえ専門家でも既成の手段では解決できない問題を指します。

 医者と患者の関係性を考えてみましょう。事象を単純化すると、病気は「技術的問題で治る病気」と「治らない病気」に分けられます。前者の場合、医者は適切な薬を処方したり、時には手術をすることで病気を治すことができるので、問題解決は主に医者が主導することになります。

 一方で後者の「技術的問題では治らない病気」とは、例えば生活習慣病などが挙げられるでしょう。高血圧や糖尿病を治すためには(医師はそのやり方を指導しますが)患者本人とその家族が強い意志を持ち、いろいろなことを我慢して従来の生活習慣を変えなくてはいけません。医者がいくら頑張っても本人にその気が無いのであれば、治る病気も治りません。

 しかし、患者にとっては、「自らの考え方・行動が病気になった原因である」と認めることは、それまでの長年の自分の生活習慣が誤っていたという事実を認めることになります。
(今まで何十年間もタバコを吸ってきたのは、「年間何万円というお金を失い、さらに自分の健康を害するためだった」などと思いたくないですよね。)

 そこで、「そういう「都合の悪い真実」はできるだけ認めたくない」と多くの人は無意識に考え、そのために、うまくいかないのは「人のせいにする」のです(「認知的不協和」)。逆の表現でいえば、「自分の病気が治らないのは医者が悪い」と人のせいにできる限りは、うまくいかなくても自分の責任ではないので、従来の思考・行動を変えなくてよいという理屈になります。

この本でもそんな話が出ていましたね。

 しかし、この「自己正当化」は傍からみれば滑稽です。タバコを止めず、酒を控えず、好きなものを好きな時に好きなだけ食べ放題という生活を一切変えずに続けながら、「生活習慣病が良くならないのは医者が悪い」という人がいたら、「何をこの人は言っているのだ?」とあきれませんか?

 アドラーの話でも出てきましたが、病気になって困るのは患者自身であって医者ではないのですし、患者自身が本気で病気を治そうと思わない限り、その病気は治るはずがないのです。

 話が長くなりましたが、この「医者と患者の関係性」は、そのままコンサルタントと会社にも当てはまります。コンサルタントが直接主導できるのは解決策が分かっている「技術的問題」だけであり、「適応的問題」は、コンサルタントではなく、会社自身が問題を受け入れ、何らかの形での課題解決のために自身を変えていくという「適応」のプロセスを自らの意思で行うことが必要です。そして、経営者はそのことを認識し、自らで適応のプロセスを主導・コントロールしなければいけません(上記の本では、そのような行動を「リーダーシップ」としています)。

■「2001年頃から急速にうつ病社員が増えたんだ。(略)社員にうつ病が増えているのは、「出井さんの圧力が強すぎるからではないか」ということだった。震源地はそこなので、うつ病になった社員や、なりそうな社員のカウンセリングを個別にしていても解決にはつながらない。だから出井さんをカウンセリングして、社内の雰囲気を変えられないか、という相談だったんだ。」

 この一連のインタビューで、土井氏は出井氏との比較で、「フロー経営」の実践の観点から」過去のソニーの経営者である井深氏、盛田氏、大賀氏の名前を引き合いに出しています。

 私自身は「フロー経営」という概念には詳しくないのでそれに触れることはしませんが、リーダーシップの質という意味で思い出したのは、不朽の名著、「ビジョナリーカンパニー2(Good to Great)」に出てくる、「第5水準の経営者」という概念でした。

(なお、著者コリンズ氏(James C. Collins)の前著、「ビジョナリーカンパニー(Build to Last)」では、(皮肉なことに)ソニーがビジョナリーカンパニーとして選出されています)

 「第5水準の経営者」とは、「飛躍した企業」に共通した経営者の資質のことで、「個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さという矛盾した性格の組み合わせによって、偉大さを持続できる企業を作り上げる」と定義され、経営者の能力のうち最高水準であるとされています(著者は例えとして、アブラハム・リンカーンを出しています)。

 「第5水準」である特徴として、著者は「個人的な野心の無さ」を強調しています。これはその人が持つ能力の有無とは関係ありません。
「世の中には二種類の人間がいるとわたしは考えている。第五水準の芽をもっている人ともっていない人である」
というのが、本書内での著者のコメントです。

 私の推測では、創業経営者である井深氏は、(さまざまなエピソードから察するに)間違いなく第5水準の経営者であったのだと思われます。そしてそれがソニーの躍進の大きな理由の1つであったのだと。ところがその後、代を経るに連れて、第5水準の経営者の要件である「謙虚さ・野心の無さ」が重視されなくなった結果、ソニーは輝きを失っていったのではないかと。社員のうつ病震源であると名指しされるような方が第5水準の経営者であるかどうかは言うまでもありません。

 上記でリンクした6月17日の記事の「ソニーの病巣」の話で土井さんが、興味深いコメントをしています。

「井深さんはそういったことはなくて、技術者も営業もみんな平等に接していた。(略)技術者が上という意識を感じさせたことはなかったな。」
「過度にエンジニアが優遇され過ぎたのは、その後の時代だね。この傾向は、盛田さんが営業を担当し、技術者ではない大賀(典雄、元ソニー社長)さんがトップになって少しは薄らいだ時期はあったけど、しぶとく残っていたと思う。」

 ちなみに井深氏から盛田氏に社長が交代したのが1971年、大賀氏が社長になったのが1982年です。

■上がダメでも下から変えるのは難しい

 この「OBのソニー批判」記事に対して、ネット上では「見苦しい」「老害」などのコメントが出たりしていますが、では、時計の針を10数年前に戻したとして、当時の経営幹部の方たちはどうすればよかったのでしょうか?

 ソニーの話とは別に、近頃世間を騒がせている「舛添東京都知事」の問題に関して、池田信夫氏が興味深いエントリを書いていました。

agora-web.jp

 池田氏によれば、傍から見ると全然仕事をしていなかったように見受けられる(本当はどうかは知りませんが)知事でも、都庁内では前任者の猪瀬さんよりは評判が良かったそうです。というのも、舛添さんの方が仕事をしないから、と。そして、その構図を江戸時代の殿様と比較をしています。
志村けんのように遊びほうけて何もしない殿様が名君なのだ。」

 殿様も、都知事も共通するのは、双方とも「お上」がいることです。殿様にとっては幕府、都知事には政府・自民党が「お上」に当たります。「お上」にとって都合が悪いと、お上の意向が働き、殿様や都知事は排除されるということです。

 これを会社で当てはめると、お上は株主になります。例えば親会社が多くの株式を握る「子会社」では、親会社の意向が働けば同様なことは可能になります。

 一方で、(近年のソニーのように)株式シェアが分散しており、「大株主の意向」が働きにくい場合、または経営者自身が大株主の場合は、そのような「お上」が存在しないので、「バカ殿」であってもそれを取り換えることができません。
(一応、それを是正するのが社外取締役の役割という理屈なのですが、実態はあまりそうなっていませんね。。)

 「お上」がいないと、独裁者を排出するには革命を起こすしかありません。それ以外では今いるトップの価値観・考え方を変えるしかなくなります。しかし正直なところ、下々の者が上の人の価値観を変えることは非常に困難(ほぼ不可能)です。この記事で出てくる元幹部の方々も、職制上はみんな出井氏の部下に当たる人達ですから、たとえ優秀で、自分の意見もあってもなかなかそれを通し、トップの意見を変えることができないということなのでしょうね。。