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hrstrategist’s blog

組織人事ストラテジストのつぶやき、業務連絡など。。

「公平な人事制度」という幻想

人事評価・報酬

 こんにちは、組織人事ストラテジスト 新井です。前回のエントリからしばらく時間が空いてしまいました。東京地方は暑い夏が過ぎたと思ったら今度は台風の影響もありずっと天気が優れないですね。バイク乗りの私ですが、先日の連休に行ったツーリングでも雨に祟られてしまいました(というか、最近晴れた日にツーリングした覚えが無いなあ)。。

 さて、久しぶりにBlogオリジナルのネタを。今回は「公平な人事制度」のお話です。

 「公平な人事制度って必要だよね」と誰かに言われて、「いや、そんなものは必要ないでしょ」と言い返す人は恐らく少ないと思います。多くの人の心の中では、「人事制度は公平でなければいけない」というのは、疑う事もない「正義」であり「前提」なのでしょう。それ自体をとやかく言うつもりはありませんし、私も「不公平よりは公平であった方がいいよね」とは思いますので、方向性として賛同します。

 ただし、「その方がいいよね」というのと「そうでなければいけない」というのは、スタンスとしては異なります。では人事制度は公平で「なければいけない」のでしょうか?

 この議論をするためには、まず「公平」の定義を考える必要がありそうですね。どのような状態が「公平」であり、何をもって「公平である」と我々は判断するのでしょう?

 というような話を書こうと思って、「公平な人事評価」というワードでググってみたら、こんな記事がありました。

jinji-tackle.jp

 「公平さ」について私が伝えたいことが、ここに概ね書いてありますね。要は人々が考える「公平さ」自体が、一人ひとりの価値観によって作られる、人により異なった「主観」でしかないということです。

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「人事評価の目的は「会社のパフォーマンスを高めること」にあるのであって、「公平な評価を実現すること」ではない」

「公平である、とはどのような状態を指すのか?」

「「公平さ」は人によって大きく異なる。」

「公平さとは何かについて合意を取ることができないので、ちょうど「正義」が法治国家の裁判の主軸にならないように、公平さを主軸にすると、評価は制度として機能しない。」
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 という訳で、私が「人事制度(評価・報酬制度)の構築」をお手伝いする際に、お客様に常にお伝えしているのは、「人事制度は必要悪である」「評価とは結局は主観である」「だからこそ仕組みはシンプルに」というアドバイスです。以前に本ブログでも書いていますね。

人事評価制度なんていらない - hrstrategist’s blog

給料の決め方はシンプルで良い - hrstrategist’s blog

記事公開: 人事評価・報酬の考え方 「月刊 人事マネジメント クラウド人事部長に聞く経営人事のQ&A - hrstrategist’s blog

 また、先日のネットラジオでも同様の話をしています。

インターネットラジオ出演:ベンチャー・成長企業における、人事評価・報酬制度のあり方「楠田祐の人事アウトサイド・イン」 - hrstrategist’s blog

 ところが、人事制度のあり方について議論をすると、「人事制度は公平でなけでばダメだ!」「できるだけ評価基準を定量化・数値化し自動的に評点に直結・反映させることで、曖昧さを無くした定量評価をすべきである」という主張をされる方が少なからずいらっしゃいます。そして、「だからこそ従来と異なる、「より公平な人事制度を作るべきだ!」と(このような方を私は密かに「評価制度原理主義者」と呼んでいます)。

 一見もっともらしい主張ですが、これは典型的な「机上の空論」です。公平な評価を実現するためには「公平な評価基準」が必要になりますが、作成された評価基準を「公平である」と誰が判断するのでしょう?

 例えば、能力評価と成果評価の比率は「6:4」と「5:5」のどちらがが良いか、相対評価を実施する際に、「A評価の分布は20%と30%のどちらが良いか」という議論は、評価制度の設計の際にはよくありますが、では、どちらがより「公平」な割合なのでしょうか?

 「どちらとも言えない」ですよね。正直なところ、その比率の「公平性」を合理的に説明できる根拠などありません。所詮は方便であり、会社・経営者にとって望ましい行動を従業員が取るためにはどちらが良いか、経営者が判断するしかありません。

 そして、「公平性」を求めて「精緻で客観的な人事制度」を導入した結果、実際に現場で起きるのは、こんな事象です。

「「公平性が大事」だからと、精緻で複雑な人事評価制度を作り、評価結果が評価者の実感と乖離してしまった結果、「実感」に合わせて評点を逆引きで調整することになるというのもよくある話です。」
(上にリンクを貼った過去のエントリ(「週刊人事マネジメント」の記事)より)

 結局、「公平な人事制度」などというのは幻想だと認識し、その上で、会社・経営者にとって望ましい(=従業員をやる気にさせる)仕組みを作り上げていくのが現実的で望ましいアプローチなのです。

 ちなみに、「原理主義者」の方たちの言動をよく聞いていると、この方たちは「公平で完璧な人事制度」に従って人事評価をすれば、誰でも間違えず、簡単に人事評価ができることを期待しているように見受けられます。

 評価をされる側が、評価者の評価スキルを信用していないために(「ベンチがアホやから」と言っても若い人は知らないでしょうね(笑))、そのような主張をするのは理解できなくもありません。その人たちにとっては、最終的には「人の判断を介せず、AIで全て判断させる」のが理想形なのでしょう(そうなるまでは、まだしばらく時間が掛かりそうですね)。

 一方で、評価をする側がこの手の主張をしている場合は注意が必要です。要は、自身が下した人事評価に責任を取りたくないのです。「評価結果がおかしくなるのは人事制度が悪いせいであって、自分は悪くない(「認知的不協和」ですね)。だから制度を変えろ!」「会社の言う通りにやったから結果がどうなろうと俺の責任ではない」というロジックです。

 「どうやって評価したらいいか分からないから、人事制度で具体的に示してほしい」という主張も同じです。そういう人達は、自分は努力せず、自分の頭で考えずに、たとえ会社がどんな指針を示したところで難癖をつけて文句を言うのです。

 そういう人達は、「人を評価し育成する」という事に対して自身の意見(哲学)を持っていませんし、もっと言うと、そもそも他人にあまり興味がなく、余計な(とその人達が考える)工数を掛けるのが面倒でさぼりたいだけなのでしょう。そして、部下と真摯に向き合わない不作為によって部下たちが被る悪影響に対しては徹底的に無関心です。

 そのような上司の下で働く部下は、本当に可哀想です。「リーダシップの有無」で言えば、この人たちは全く「リーダー」とは言えませんし、そのような人を管理職にした会社の姿勢にも疑問です。

 人事制度(評価・報酬制度)でもっとも大事なのは、評価の「公平性」ではなく、その仕組みを運用することで「会社に貢献した人がきちんと報われる、「信賞必罰」になっているか」、「その仕組みにおいて、会社にとって重要な人材がより「やる気」になるか」なのです。評価・報酬制度の設計・運用では常にその点を忘れないようにしましょう。

 では、Have a nice day!