hrstrategist’s blog

組織人事ストラテジストのつぶやき、業務連絡など。。

「集団の傾向≠個別の特徴」である話(1) 国籍・民族編

 こんばんは。組織人事ストラテジスト新井です。

 昨日(12日)まで韓国に家族旅行(食い倒れ旅行とも言う)に行っておりました。屋台で食べたうどん、カルクッスが美味しかった。。。

 そんな良き想い出は既に過去の事。今日から完全に社会復帰です。いきなり全力疾走です。ありがたいことにお仕事がいっぱいありますので。。

 さて、久々にBlog更新ですが、今日(13日)の日経朝刊1面コラム「春秋」に、以下のような話が出ていました。

「ロシア人の女性記者が言った。『日本人は人前で笑わないと思っていた。』」
スウェーデンから来日する知人にはこう言われた。『日本人は人をからかったりはしないんじゃないのかい』」
「『おいおい、そんなわけないだろ』と反論しながら、決して少数ではないであろう普通の外国人に今もある外国人観を垣間見て悄然とするのである。」

 まあ、良くある話ですね。本当に良くある話です。
筆者の方が「悄然(元気を無くしている様子 by 新明解国語辞典第三版)とされる気持ちは分からなくも無いですが。

 でも、ここで思い出しましょう。我々日本人も同じようなことを言っていないでしょうか。「○○人は○○だよね」と。それと同じことです。
 
 よく考えれば分かる事ですが、例えば皮肉っぽくないxx人もケチじゃない○○人も物静かな△△人もいつもふざけている日本人も(多数派でないかもしれないが)確実に存在しますよね。我々が、「○○人は○○だよね」と話をする裏側では、「春秋」を書いた方と同じように苦い思いをしている人達が存在しています。
 
 実際に外国人の友人がいる方、海外で生活をされたことのある方は言わずもがなで理解をされていることかと思いますが、つまり、ある集団の傾向があったとして、それを個人に対してステレオタイプで当てはめるとしばしば間違えますよ、という事です。

 こんな事を思ったのも、今回の韓国旅行で、こんな経験をしたからです。

 今回の旅行は総勢8名の大所帯だったので、旅行中にガイドタクシーをお願いしました。担当の運転手さん(ナムさん)は物腰もやわらかく運転も非常に丁寧、さらには何かと細かく我々に気遣いをしてくれました(おもてなし、ですね)。

 韓流スターのファン(追っかけ)で韓国に幾度となく訪れている義姉によれば、ナムさんは、「韓国の人では珍しい穏やかなタイプ」で、「大抵の人はもっと感情をストレートに出す」そうです。

 その話を聞いて改めて思いました。一人ひとりでキャラクターは異なる。ある特定の集団の中での全体傾向は確かにあると思うが、全員が同じではない。先入観を排除してその人個人を見ることによって始めて、ステレオタイプによる誤解を防ぐことができ、その人個人をより深く知ることが出来るのではないか。そして、多くの個人を知る事=仲良くなることによって、異なる国の人たちがより深く互いに理解し、共感し合える世界は実現できるのではないか、と。

 この話に関連して、私の知人(中国に詳しい外交官の方です)からは先日このような話も教えてもらいました。
「日本人と中国人の考えていることなんて、個人のレベルではほとんど変わらない。みんな同じような事(例えば子供の教育、仕事の事等)で悩み、同じような価値観を持っている」そうです。政府レベルでのやり取りではいろいろとギクシャクしたやり取りがありますが、あれはあくまで政治の世界(建前の世界)の話であり、民間レベル、個人レベルではみんな日本が大好きだし、日本に来たくて仕方がないそうです。そのような話も実際に現地の人たちとコミュニケーションをして、彼らの本音を実感しないと理解しづらいかもしれません。

 個人レベルでお互いをより理解するためには、個人レベルでの「国際」交流をどんどん積み重ねなければいけないと考えます。こちらから出ていくだけでなく、海外からの旅行客はどんどん受け入れるべきですし、それを促進する努力をする必要があります。国に頼らず民間レベルで何をするかを、一人ひとりが考えないといけませんね。

 今日(13日)お会いした杉村さん(楽天時代の同僚で、現在は中国企業(Tencent)とコラボレーションしたビジネスを展開されています)も、同様の事をおっしゃっていました。彼のやっているビジネスはそういう意味で日本人が目指すべき一つの方向性、選択肢を体現しているように思います。

株式会社ネットスターズ
http://www.netstars.co.jp/
ウィ・ジャパン株式会社
http://www.wejapan.jp/

 さらにはもう一つ、自分自身が韓国に滞在して思ったことがありました。それは、「違和感のなさ」です。

 羽田からの距離の近さも影響しているのかもしれませんが、金浦空港に到着し、バスでソウル市街に入っても、ほとんど「外国に来た」という緊張感を感じないのです。もちろん言葉は分からないのですが、違いは本当にそこだけで、空気感は国内旅行の延長の感覚です。生活水準も日本と大きく違いませんし、細かい違いよりも、大きい所で日本人と韓国人は「近い」、むしろほとんど変わらないのだな、という肌感覚を感じました。

 実は以前にも同じような感覚を感じたことがあります。大学院時代にカナダに交換留学をしていたのですが、面白いことに、留学先の学校でも、中国、台湾、韓国、日本人というご近所同士はツルみ易いのです。お互い心細い環境の中で、似たような者同士が頼りあうのでしょうね。

 ほとんど同じで、少しだけちがう、その同じところを見るか、違うところを見るか。東京と大阪の違いと日本と韓国の違い、レベルは違っても根本的には同じ類の話ではないかと思います。

 もっと大きく、Bird Viewで考えると、国とか地域単位ではなく、同じ「人間」として、基本的に考えることはほぼ同じという共感、絶対的な共通感覚を持ち、その信頼の上で、互いの違いをどこまで許容し、認めることができるか。どっちが偉いとかではなく、歩み寄れる事が出来るかが、とても大切な事なのではないか、そんなことを最近感じています。

 続く。