hrstrategist’s blog

組織人事ストラテジストのつぶやき、業務連絡など。。

東芝の「不適切会計(粉飾)」問題の中、改めて土光敏夫さんの話。

 こんにちは、組織人事ストラテジスト 新井 規夫です。東京地方、今年の夏は厳しい暑さです。これならシンガポールの方が涼しいのではないかと思います。だとすると、赤道直下の熱帯より暑いということ!?

 そんな中、東芝粉飾決算(報道では、「不適切会計」などと言っていますが)の件もあり、かつての東芝(等)の名経営者であった土光敏夫さんについて改めて振り返りたいと考え、以前に読んだ「清貧と復興 土光敏夫 100の言葉」を再読してみました。

 土光さん関連の本は多く出ており、この本は東日本大震災直後の2011年夏に、テレビ朝日の報道デスクである著者の出町譲さんが、過去の土光さんの発言、著述を取りまとめた本です。改めて読み返してみると新たな発見もいくつかあり、かつ、現代にもそのまま通じる土光さんの言葉に感銘し、このBlogでも簡単に紹介をさせて頂こうと考えました。

 まず、土光敏夫さんについて、特に30代以下の方達には名前も知らない方もいらっしゃるかもしれません。詳しくはウィキペディアをご覧頂ければと思いますが、石川島播磨重工業(現IHI)、東芝の社長を歴任、さらには経団連の会長を務められた人物です。

土光敏夫 - Wikipedia

土光敏夫―「改革と共生」の精神を歩く →読みごたえあります

 そして、何と言っても有名なのは、御年85歳で就任された、鈴木善幸中曽根康弘内閣の元での第二次臨時行政調査会(臨調)の会長としてでしょう。

 「NHK特集」で放送された、夕食に奥様と2人でメザシなどの粗食を食べる姿はお茶の間に衝撃を与え、「メザシの土光さん」と「臨調」は国民的な人気を得ることになり、「3公社民営化(国鉄→JR、専売(たばこ、塩)→JT、電信電話→NTT)」等の行政改革の提言は中曽根内閣で実現しました。当時私は小学生でしたが、「メザシの土光さん」と言われていたおじいさんの姿はテレビでよく見た記憶が残っています。

cgi2.nhk.or.jp

→こちらにある動画は必見!

第二次臨時行政調査会 - Wikipedia

 
 この本では、土光さん語録として100の言葉を取り上げていますが、その中でも印象に残ったくだりをいくつか紹介いたします(実は全て取り上げたい位ですが、そうもいかないので厳選しました)。

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■「お金はつかうべきところに使う」
「おカネは有効に使うことですよ。ネオンの街に消えてしまうのじゃもったいない。贅沢な生活になれてしまうとだいいち健康に良くない。」

→土光さんは大企業のトップとしての給料を、ほとんど自身が経営する学校(橘学苑、土光さんの母が創立)につぎこみ、自身は横浜鶴見の山の上にある古い小さい家に暮し、会社には鶴見から電車で通勤していたそうです。
 
 経団連会長時には、オイルショック後に省エネ対策として、経団連会館の天井の蛍光灯を半分消させ、エレベーターも半分止めました。一方で、「研究開発費は、不景気で経費節減だからといって惜しんではならない・会社の将来に必要な研究であれば、銀行から借金しても捻出すべきだ。」と、必要な投資は惜しんではいけないとも考えていました。

■「豪邸に住み派手な生活の人は信用できない」
「体力の続く限り、自分のことは自分で始末しなさい。」

東芝へきてまず驚いたのは社長室に専用のバスルームがあったことだ。」

「要はなんでも自分でやる主義です。出張に行っても自分の下着は自分で洗うし、家にはメイドを置いたこともない。」

「要は生活を質素にムダなくやればいいわけで、豪邸に住んで派手な生活をするような人はあまり信用できない。真に強い人は、一人でなんでもやっていけるものですよ。」

IHIの社長を退いた土光さんは、経団連会長で東芝会長の石坂泰三氏から、不況による業績悪化に苦しむ東芝の再建を要請され、これを受託します。実は石坂氏自身も第一生命出身で、乞われて東芝の社長となり、労働争議で潰れかかっていた東芝を再建したという実績がある方でした。

石坂泰三 - Wikipedia

 尊敬する石坂氏から頼まれ、東芝に乗り込んだ土光さんは、まず手始めに前任者が作らせた役員室の浴室と調理場を取り壊し、役員に与えられた個室を4人用に仕切りなおしました。自身の社長室は「馬小屋」と呼ばれる小さなものとし、さらには「お茶は自分で入れろ」と自動給茶器を設置したそうです。

■「経営者はつらい人」「小便しながらでも報告せよ」
「経営者がえらい人であるゆえんは、一にかかって、上に立つほどより大きく重い責任を負う人であるからだ。幹部は権限もあるが、これは振り回さないほうがよい。できるだけ委譲するほうがよい。そうすると残るのは、責任ばかりだ。」

「経営者や幹部は、ほんとうはつらい人なのである。割に合わない商売なのだ。しかしそれくらいでなければ、これからの企業体をあずかる資格はないと思う。」

「(社長には)権限は全部与えても、責任は百パーセント残っているのだというのが、ボクの主義だ。」

「だから、絶えず注意していなければダメで、権限を委譲された者は、必ず必要なレポートをすることが責任だ。」

「お互いに便所に行って小便をしながらも、話が通じるようになっていなければいけない。」

「報告書は結論を先に書くべきで、結論を読んで判らなければ、あとの報告のところを読んでみる、ということにしたい。」

東芝で土光さんは、事業部長への権限移譲を行いました。役員は社長と共に「経営幹部会」を作り、経営方針を決定する。日常業務は事業部長が行う。そして、最後の責任は社長や役員が取る、というものです。事業部長は自身の作った目標の達成に全力を尽くし、達成できない場合には、社長が説明を要求するというこの関係性を、土光さんは「チャレンジ・レスポンス経営」と名付けました。

チャレンジ:トップが事業部長に説明を要求する
レスポンス:事業部長は素早く反応する

という関係です。そして、事業部長の見通しが甘かったり、ごまかしの報告をすると、「そんなことで東芝の立て直しができると思っているのか。後を引き受けるから、もう死んでしまえ」と怒鳴ったそうです(今の時代だと言葉じりを捉えて「パワハラ」とか言われるのでしょうか。。)

そして、「チャレンジ」というフレーズがここで出てきました。今回の東芝事件で出てきた「チャレンジ」という言葉は、「高い利益目標の設定」という意味で使われたようですが、元を辿れば全く別の意味として使われていたのですね。

【東芝不正会計「歪みの代償」番外編】石坂泰三、土光敏夫…財界の盟主を続々輩出した名門企業はなぜ転落したのか?(2/6ページ) - 産経ニュース

 

■「経営者の人事権は独裁権でない」
「経営者にとって最も大きく重たい負担は、人事である。経営者は確かに人事権をもつ。しかしそれは独裁権であってはなるまい。」

「上位者にも判断の誤りというのはある。ひとりの上位者の判断によって、ひとりの人間の一生を左右するのは、神をも畏れぬ所業といわねばならぬ。それゆえ、人事はひとりで決めてはならぬ。」

「私は、人事は広くディスカスして決めることにしている。どの階層の人であろうと、すべての関係者を集めて、その人事がその人を、今まで以上に生かすことになるのか、更に新生面を開くことになるのかを、子細に討議する。」

「しかし衆智を集めて最後に決める責任はトップにある。トップはそのとき、神に祈る心境で人事を決するのである。」

→土光さんは「人間は変わり得る」という信念を持っていました。過去の出来事や間接的な評判から先入観をもって人を評価するのでなく、現時点でのその人の意欲・姿勢・態度を重視し、かつ、可能な限り多くの人の意見を取り入れようと考えられていたのだと思います。

■「退き際の美学を」
「サラリーマン上がりの人が社長を長くやり、さらに会長をやり、その上”名誉会長”などといって、八〇歳をすぎてもなおワンマンの名を欲しいままにする。その間、たしかに功績はあっただろうけども、功罪どちらかが大かといえば、一般的には「罪」のほうが強いのではないか。社会の公器たるべき企業を私するほど醜いことはない。」

「個人の都合で居座られたのでは、組織全体が迷惑をこうむる。僕なんかにいわせると、「社長」なんてのは、会社の中で一番辛いポストなんだから、一日も早く退きたい、そのために後事を託せる人材を育て、いままでやれなかった個人生活を楽しみたい、と考えるのがふつうだ。要するに己の使命が終わったと思ったら、シのゴの言わず、さっさと退けばよいのである。」

→土光さん自身は、IHIの社長、会長を辞めたあとはブラジルに移住して悠々自適の老後を過ごしたいという夢を持っていたそうですが、結局91歳で亡くなるまで、東芝経団連、臨調と、周囲が土光さんを休ませてくれず、結局ご本人の夢がかなう事はありませんでした。かたや、今回の東芝に関しては以下のような憶測も出ていますね。。

「不適切会計」に揺れる「東芝」を蝕む歴代トップの「財界総理病」 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

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 この本では、これだけでなく「臨調」に関連した、政府、国家のあり方についての意見(たとえば「政府は引っ込め、民間に任せよ」「農業は補助金をあてにするな」等々、、)についてもありますが、また機会があればご紹介させて頂こうと思います。

 実は、本日8月4日は土光さんの命日です。その日にこのエントリを書いているのも、何か偶然ではない気がします。。