hrstrategist’s blog

組織人事ストラテジストのつぶやき、業務連絡など。。

みぜん合同会社設立6周年


 みぜん合同会社 組織人事ストラテジスト 新井 規夫です。

 驚くべき短期間での梅雨明け!今日は(毎週恒例)佐久の拠点におりますが(昨夜の環八の工事渋滞は酷かった...)、こちらも昼間は最高34℃まで上がりました。引っ越したばかりで冷房設備も無いので大変ですが、こちらは湿気が少ない(30~40%位)のが救いで、なんとか生き永らえております。

 そういえば、隣に借りた畑に植えたジャガイモを、ぼちぼち収穫し始めております。まともに手を掛けていないので成育は今いちですが、それでも新ジャガの香りと味は格別ですね。そのような小さな幸せを楽しむ(半分)信州生活です。

 そのような中で、本日7月1日は、「みぜん合同会社」の設立6周年の記念日です。2020年春にコロナ禍の影響で半年ほど仕事がほぼ無い状態がありましたが、その後は反動?でずっと高稼働率でここ2年位やっておりました。

 その最中にクラインガルテン生活⇒現拠点への引っ越しなども行ってずっとバタバタしておりましたが、7月以降は(今のところ)稼働も(一時的に)減ってきましたので、いろいろと振り返ったり、将来に向けての仕込みなども行っていきたいと考えております。
(とはいえ、まずは前期の決算を締めないといけませんがw)

 2年経ち、ようやく世間も正常化しつつありますので、週末に長野方面にお越しの際にはぜひお声掛けいただければと思います。また、本業に関しましても、組織人事面で課題をお持ちの際には、ぜひともご相談頂ければと思います。

 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします!

みぜん合同会社
代表社員 CEO
組織人事ストラテジスト
新井 規夫

(なんとなく)独立開業8周年

 こんにちは、みぜん合同会社 組織人事ストラテジスト 新井 規夫です。

 関東甲信地方は既に梅雨入りしたそうですね。昨夜遅くに長野(佐久)入りしたのですが、昨晩から雨→晴→雨(夕立ち)と、こちらもなかなか安定しない気候です。

 そのような中ですが、本日6月9日は、2014年に会社を退職して「組織人事ストラテジスト」として独立開業をしてからちょうど8周年の記念日であります。

 昨年のエントリ(下記)を読み返しておりますが、ここ1年の間に、特にプライベートでは大きな変化が起きました。

hrstrategist.hatenablog.com

 Facebookなどで一部の方には既にお伝えした通り、長野県佐久市に中古のログハウスを購入し、(それまで借りていたクラインガルテンから移転し)新しい拠点としています。

自宅近くの畑から見た夕日

働く農夫(私)

Bessのログハウスです。



 引っ越し経験のある方は共感して頂けると思いますが、新拠点の基盤を整えるための雑多なタスク(捨てたり、掃除したり、物を入れたり、出したり、組み立てたり、切ったり、割ったりw)をこなすのがここ最近の週末の日課となっております。

 さらには、幸運にも隣地の畑をお借りすることが出来たので、さっそく(昨年収穫したものの食べきれず残っていた)ジャガイモ等を植え、育て始めております。正直こちらまでは手が回っていないので、今年の収穫は期待せず、畑作の改善は来季以降の課題とする予定です。

 さて、本業の話がここまで出てきておりませんが、実は昨年から今年にかけて、いくつかの案件で結構忙しく働いておりました。6月で複数案件がちょうど終了し、7月以降の予定はまだ余裕がある状況(久々です)なので、ぼちぼち営業活動も真面目にやらないといけませんね(笑)。
 
 9年目も引き続き、しぶとく生き延びていきます!

 という訳で、(特に成長企業の)組織・人事面でお悩みがあれば、ぜひお声がけください。アドバイザリーやコンサルティングなど、ご要望に応じた形でお手伝いすることが出来るかと思います。

 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします!

みぜん合同会社 設立5周年

 おはようございます、みぜん合同会社 組織人事ストラテジスト 新井 規夫です。

 梅雨入りしてから東京地方は天候が優れませんが、一方で気温があまり上がらず(比較的)涼しいのがまだ救いです。なにしろ暑さが苦手なので...

 暑さといえば、長野県佐久の「クラインガルテン」を借りて二拠点生活を始めてから1年ほど経ちましたが、あちらは昼間がどれだけ暑くても朝晩はしっかり気温が下がるので、夏場でも居住するにはだいぶ楽ですね。

 今年は週末農夫としての修行も2年目となり、前年よりは栽培も少しは上手くなったのではないかと思います。もうすぐジャガイモ、ダイコン、エダマメが収穫の時期(さらにはトウモロコシ)なので、忙しくなりそうです。

 さて、本日7月1日は、「みぜん合同会社」の設立記念日です。2016年設立から、もう5年(個人事業として創業してからは7年)となります。近頃はBlogの記事も「周年」系しか書いておりませんが、「コロナ禍」でぴたっと動きが止まった昨年と異なり、仕事ではいくつかの案件を担当させて頂き、最近は忙しくしております(加えて昨期(5期)の決算作業をやらないといけません(苦笑))。

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 余談ですが、「起業して5年で生存率はたった〇割!!」といった(煽り)記事をよく見かけたりしますが、中小企業庁の以下の資料によれば、

「起業後5年間で英国は 57.7%、フランスは 55.5%の企業が市場から退出しているのに対し、我が国は起業後5年間で18.3%の退出にとどまっている」(P109(Pdfファイルの19ページ目)「起業後の企業生存率」より)

とのことです。5年で8割以上生存って、思ったよりかなり高いですね。要は日本の場合、開業率も廃業率も他国よりもかなり低いという傾向があるようです。起業を考えられている方、少し勇気づけれらませんか?(不肖私ですら生き延びているのですから)

「中小企業のライフサイクル」

https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H29/PDF/chusho/04Hakusyo_part2_chap1_web.pdf

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 なお、前回(6月9日)のエントリで近況報告をしておりますので、もしよろしければこちらもご一読ください。

hrstrategist.hatenablog.com

 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします!

みぜん合同会社
代表社員 CEO
組織人事ストラテジスト
新井 規夫

(なんだか)独立開業7周年

 こんにちは、みぜん合同会社 組織人事ストラテジスト 新井 規夫です。

 昨年のエントリを見ると、もうこの時期で東京地方は梅雨入りしていたようですが、幸い(?)にも今年はまだのようです(今週末あたりから、そろそろ来そうですが)

hrstrategist.hatenablog.com

 上記の記事では、新型コロナウイルスに関しても、

「新規案件の進捗はストップし、さらには急激な業績悪化のため、残念ながら従来のクライアントとの契約が終了となってしまった事例も発生」

などと書いてありますが、そういえば去年の今頃は仕事は暇だったよな、ということを思い出しました。

 それから1年経ちましたが、今年は状況が全く異なっております。5月から複数のクライアントにおいて、人事制度見直しのプロジェクトが動き出し、大変忙しくなっております。このようなご時世において、仕事を頂けるというのは大変ありがたいことですね。

 そのような中ですが、本日6月9日は、2014年に会社を退職して「組織人事ストラテジスト」として独立開業をしてからちょうど7周年の記念日であります。

 上記のような忙しさ(とネタ切れ)もあり、近頃Blogの更新は大変さぼっておりますが、私は元気に(相変わらず)しぶとく生き延びております。

 また、Facebookで繋がっているかたはよくご存知かと思いますが、二拠点生活拠点の長野県佐久では、ただいま畑の作物が絶賛成長中で、夏の収穫が非常に楽しみです。最近常々思うのは、農作物の育成は人材育成と共通する部分が本当に多いなと日々実感し、学びを感じている次第で、日々是学びですね(笑)。
 
 そのような訳で、8年目も引き続き、しぶとく生き延びていきます。

 近頃は忙しいのでお断りするかもしれませんが(笑)、(特に成長企業の)組織・人事面でお悩みがあれば、ぜひお声がけください。アドバイザリーやコンサルティングなど、ご要望に応じた形でお手伝いすることが出来るかと思います。

 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします!

【読書メモ】「神さまとぼく 山下俊彦伝」 梅沢正邦著

 希代の経営者である松下電器産業(現:パナソニック)創業者 松下幸之助翁からの指名により、1977年から1986年まで9年間、松下幸之助翁の「次の次」の社長を務めた山下俊彦氏の伝記です。

 幼少時よりずっと関東圏に住んでいたためか、コテコテの関西企業(と勝手に思っている)のナショナル・パナソニック製品には特に思い入れはありませんでした(カナダ留学時に使っていたLet's Noteを、居候先のホストファミリーのご主人(オタク系青年、イケメンでないキアヌ・リーブスのイメージ)に、「おお、それいいねえ(意訳)」と言われたのを思い出すくらい)。

 なので、松下電器の歴史にこれまで詳しかったわけではないのですが、それでも日本を代表する(した)大企業がどのように発展し、後に衰退していったか「歴史に学ぶ」ことは意味があると思います。そういう意味で、このような本を出版して頂くことは大変ありがたいいし、本を読むことで過去の出来事を疑似体験できるのは本当にコストパフォーマンスが高いのでは、と思います。

 本書に関する書評については、例えば以下の記事がありますので、こちらも参考にしてください。

www.yomiuri.co.jp

 本書のタイトルにある「神さま」とは、言わずと知れた「経営の神さま」松下幸之助翁であり、対する「ぼく」は、実業学校卒の叩き上げ、かつ、一度松下を辞めてから後に出戻った山下氏のことです。

 幸之助翁の教え(経営理念:綱領、心情、精神)が(宗教的なまでに)絶対の会社において、その教えに懐疑的であった山下氏は、幸之助翁自らの指名により(再三の固辞も叶わず)、松下電器の社長に就任することになります。いかにこの人事が本人にとって心外であったかは(再三固辞をしたのですが、最終的に押し切られてしまったそうです))、新社長発表の場での、「選んだほうにも責任がある」という名(迷)言からも伺い知れます。また、取締役の序列25番目(下から2番目)からいきなり大抜擢された異例の人事は、当時、「山下跳び」と持て囃されました。

www.panasonic.com

www.panasonic.com

 自身がコントロールしやすい番頭的な人間ではなく、ある意味対極的な立ち位置にあった山下氏を幸之助翁が選んだのは、当時の社長であった(幸之助翁の娘婿である)正治氏の在任期間中の松下電器の停滞・機能不全に苛立ち(とはいえ「家庭の事情」により、婿養子である正治氏を簡単にクビにはできない(このことが後に松下電器にとって致命的な禍根を残すのですが)というストレスもあったでしょう)、停滞した会社の現状を変えるためでした。

 幸之助翁が子飼いでも番頭でもない山下氏を社長に選んだ大きな理由(能力・実績以外で)は、おそらく、山下氏の「私欲の無さ」でしょう。

「決定的に「なかった」のが権力欲求だ。自らを顕示したい、出世街道を駆け上がり、権力を握りたい。握った権力は放したくない。ビジネスパーソンの誰もが抱く欲求のかけらもなかった。風のようにさらさらしていた。」
(本書より)

 松下電器は幸之助翁自身の虚弱体質のために、事業の経営(運営だけでなく意思決定も)を事業部長に任せる(任せざるを得ない)「事業部制」を採っていました。事業部長として適任な人材は、往々にして他人を蹴落とし、部下を使い捨てる「オレがオレが」という我が強い「猛獣」的な存在の人たちとなりがちです。逆説的ですが、「猛獣」たちを扱うためのツールとして、「神さま」の経営理念(綱領等)が存在し得たとも言えるのかもしれません。幸之助翁の理想は、松下の経営理念に深く共感し、自分と同じ考えを持つ「金太郎飴」社員の集団でした。

 一方で、山下氏は自らの立身出世のためでなく、幸之助翁や自身の上司に媚びへつらうことも一切なく、自らが責任を持って手掛ける「事業」とそこで働く「人」にとって何がベストかを考え、行動する姿勢を貫きました。

「(「神さま」幸之助会長の下での社長業は)本人はたまらなかったと思う。でも、ぶれなかった。自分を殺して演じきった。だから名優、サムライだよ。以上。」
(本書より、山下氏の参謀であった佐久間曻二氏(元松下電器副社長、WOWOW社長・会長)のコメント)

 山下氏のマネジメントは、幸之助翁と同様に「任せる」スタイルでしたが、「任せ方」は異なるものでした。幸之助翁は自身の考えに従う「番頭」タイプを重用しました(なお、幸之助翁は「言っていることとやっていることが違う」複雑で矛盾をはらむ人物だったようです。その辺についても本書では言及されています)。山下氏は個人の力を引き出すためにその人を信じて任せます。その代わり信賞必罰を徹底します。自身が育てた”子飼い”的な人物でも、業績が伴わなければ容赦なく更迭(「泣いて馬謖を斬る」)です。

 この本の面白さは、「神さま」の言うことしか聞かない数々の古参「猛獣」キャラの群像劇です(幸之助翁はいわば「ボスキャラ」)。事業部同士の摩擦、対立は当たり前。強烈な面々に対して山下氏がどう立ち向かい、使いこなしていったか。この辺の(清濁併せのむ)パワーゲームの話は、オーナー経営者の元で事業部制であった前職(楽天)のことを思い出しながら、元サラリーマンとして時には感情移入をしながら大変興味深く読み進めました。(いろいろと厳しいでしょうが)こういう上司の下で一度仕事をしてみたかったですね。

「「上にはお上手を言え、ゴマをすれ、言うヤツがおるやろ。君な、あんな人間になったら、あかんぜ」」
(本書より)

 社長在任から9年間で売上高、営業利益をそれぞれ2.6倍に押し上げ、山下氏は颯爽と社長を退任しました。本人が望めば副会長職、または正治氏の後任の会長にもなれたのではないかと言われていたようですが、本人は「新社長の邪魔をしたくない」と取締役相談役として潔く身を引きました。

「「シンドイですわね。(私の)就任の仕方が異常でしたらから。ご苦労はあり過ぎるくらい。よく9年もったと思う。あんまりいうと、決めた相談役(幸之助)に悪いが、非常に迷惑しましたからね。だから、私の後継者(谷井昭雄氏)は出来るだけ早い時点で決めました。」」
「「(社長時代の)思い出?何もない。強いて言えば、(社長に)なった時と、今、辞める時」」
(本書より、社長退任時の記者会見の発言)

 もしここで山下氏が松下の会長となり、正治氏が退任していたら、松下や日本の電機産業はどのような姿となっていたか。「もしも」を考えても無駄なのですが、山下時代とその後の松下の迷走と凋落、幸之助翁(1989年没)の逝去後の創業家と経営陣の泥仕合との差分があまりに劇的なので、つい考えてしまいます。。

※上記については「ドキュメント パナソニック人事抗争史」(岩瀬達哉著)に詳しいです。興味のあるかたはこちらもぜひ。