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【読書メモ】「神さまとぼく 山下俊彦伝」 梅沢正邦著

 希代の経営者である松下電器産業(現:パナソニック)創業者 松下幸之助翁からの指名により、1977年から1986年まで9年間、松下幸之助翁の「次の次」の社長を務めた山下俊彦氏の伝記です。

 幼少時よりずっと関東圏に住んでいたためか、コテコテの関西企業(と勝手に思っている)のナショナル・パナソニック製品には特に思い入れはありませんでした(カナダ留学時に使っていたLet's Noteを、居候先のホストファミリーのご主人(オタク系青年、イケメンでないキアヌ・リーブスのイメージ)に、「おお、それいいねえ(意訳)」と言われたのを思い出すくらい)。

 なので、松下電器の歴史にこれまで詳しかったわけではないのですが、それでも日本を代表する(した)大企業がどのように発展し、後に衰退していったか「歴史に学ぶ」ことは意味があると思います。そういう意味で、このような本を出版して頂くことは大変ありがたいいし、本を読むことで過去の出来事を疑似体験できるのは本当にコストパフォーマンスが高いのでは、と思います。

 本書に関する書評については、例えば以下の記事がありますので、こちらも参考にしてください。

www.yomiuri.co.jp

 本書のタイトルにある「神さま」とは、言わずと知れた「経営の神さま」松下幸之助翁であり、対する「ぼく」は、実業学校卒の叩き上げ、かつ、一度松下を辞めてから後に出戻った山下氏のことです。

 幸之助翁の教え(経営理念:綱領、心情、精神)が(宗教的なまでに)絶対の会社において、その教えに懐疑的であった山下氏は、幸之助翁自らの指名により(再三の固辞も叶わず)、松下電器の社長に就任することになります。いかにこの人事が本人にとって心外であったかは(再三固辞をしたのですが、最終的に押し切られてしまったそうです))、新社長発表の場での、「選んだほうにも責任がある」という名(迷)言からも伺い知れます。また、取締役の序列25番目(下から2番目)からいきなり大抜擢された異例の人事は、当時、「山下跳び」と持て囃されました。

www.panasonic.com

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 自身がコントロールしやすい番頭的な人間ではなく、ある意味対極的な立ち位置にあった山下氏を幸之助翁が選んだのは、当時の社長であった(幸之助翁の娘婿である)正治氏の在任期間中の松下電器の停滞・機能不全に苛立ち(とはいえ「家庭の事情」により、婿養子である正治氏を簡単にクビにはできない(このことが後に松下電器にとって致命的な禍根を残すのですが)というストレスもあったでしょう)、停滞した会社の現状を変えるためでした。

 幸之助翁が子飼いでも番頭でもない山下氏を社長に選んだ大きな理由(能力・実績以外で)は、おそらく、山下氏の「私欲の無さ」でしょう。

「決定的に「なかった」のが権力欲求だ。自らを顕示したい、出世街道を駆け上がり、権力を握りたい。握った権力は放したくない。ビジネスパーソンの誰もが抱く欲求のかけらもなかった。風のようにさらさらしていた。」
(本書より)

 松下電器は幸之助翁自身の虚弱体質のために、事業の経営(運営だけでなく意思決定も)を事業部長に任せる(任せざるを得ない)「事業部制」を採っていました。事業部長として適任な人材は、往々にして他人を蹴落とし、部下を使い捨てる「オレがオレが」という我が強い「猛獣」的な存在の人たちとなりがちです。逆説的ですが、「猛獣」たちを扱うためのツールとして、「神さま」の経営理念(綱領等)が存在し得たとも言えるのかもしれません。幸之助翁の理想は、松下の経営理念に深く共感し、自分と同じ考えを持つ「金太郎飴」社員の集団でした。

 一方で、山下氏は自らの立身出世のためでなく、幸之助翁や自身の上司に媚びへつらうことも一切なく、自らが責任を持って手掛ける「事業」とそこで働く「人」にとって何がベストかを考え、行動する姿勢を貫きました。

「(「神さま」幸之助会長の下での社長業は)本人はたまらなかったと思う。でも、ぶれなかった。自分を殺して演じきった。だから名優、サムライだよ。以上。」
(本書より、山下氏の参謀であった佐久間曻二氏(元松下電器副社長、WOWOW社長・会長)のコメント)

 山下氏のマネジメントは、幸之助翁と同様に「任せる」スタイルでしたが、「任せ方」は異なるものでした。幸之助翁は自身の考えに従う「番頭」タイプを重用しました(なお、幸之助翁は「言っていることとやっていることが違う」複雑で矛盾をはらむ人物だったようです。その辺についても本書では言及されています)。山下氏は個人の力を引き出すためにその人を信じて任せます。その代わり信賞必罰を徹底します。自身が育てた”子飼い”的な人物でも、業績が伴わなければ容赦なく更迭(「泣いて馬謖を斬る」)です。

 この本の面白さは、「神さま」の言うことしか聞かない数々の古参「猛獣」キャラの群像劇です(幸之助翁はいわば「ボスキャラ」)。事業部同士の摩擦、対立は当たり前。強烈な面々に対して山下氏がどう立ち向かい、使いこなしていったか。この辺の(清濁併せのむ)パワーゲームの話は、オーナー経営者の元で事業部制であった前職(楽天)のことを思い出しながら、元サラリーマンとして時には感情移入をしながら大変興味深く読み進めました。(いろいろと厳しいでしょうが)こういう上司の下で一度仕事をしてみたかったですね。

「「上にはお上手を言え、ゴマをすれ、言うヤツがおるやろ。君な、あんな人間になったら、あかんぜ」」
(本書より)

 社長在任から9年間で売上高、営業利益をそれぞれ2.6倍に押し上げ、山下氏は颯爽と社長を退任しました。本人が望めば副会長職、または正治氏の後任の会長にもなれたのではないかと言われていたようですが、本人は「新社長の邪魔をしたくない」と取締役相談役として潔く身を引きました。

「「シンドイですわね。(私の)就任の仕方が異常でしたらから。ご苦労はあり過ぎるくらい。よく9年もったと思う。あんまりいうと、決めた相談役(幸之助)に悪いが、非常に迷惑しましたからね。だから、私の後継者(谷井昭雄氏)は出来るだけ早い時点で決めました。」」
「「(社長時代の)思い出?何もない。強いて言えば、(社長に)なった時と、今、辞める時」」
(本書より、社長退任時の記者会見の発言)

 もしここで山下氏が松下の会長となり、正治氏が退任していたら、松下や日本の電機産業はどのような姿となっていたか。「もしも」を考えても無駄なのですが、山下時代とその後の松下の迷走と凋落、幸之助翁(1989年没)の逝去後の創業家と経営陣の泥仕合との差分があまりに劇的なので、つい考えてしまいます。。

※上記については「ドキュメント パナソニック人事抗争史」(岩瀬達哉著)に詳しいです。興味のあるかたはこちらもぜひ。